◇吐蕃王朝期 7-12世紀(jì)
7世紀(jì)はじめ、強(qiáng)大な唐王朝が中原地區(qū)に成立、中國內(nèi)地の300年にわたる混亂分裂の局面は終わりを告げた。それと同時(shí)に、今日のチベットのロカ地區(qū)ヤルン出身のソンチェン?ガムポが各地の部族を征服し、有史以來初の青蔵高原各部族の統(tǒng)一政権、吐蕃王朝を建てた。ソンチェン?ガムポは吐蕃と唐朝の往來を十分に重視し、中原における先進(jìn)的な漢族の文化をおおいに吸収した。彼は二度にわたり、唐朝に大臣を派遣して求婚し、唐の太宗、李世民の娘、文成公主を娶った。このことにより、雙方の往來は頻繁になり、政治、経済、文化の交流は広くまた深くなり、民間の往來も全面的に発展し、チベット族と中國のそのほかの民族との関係は、かつてなかったほど密接なレベルとなった。唐と吐蕃は、八度の會(huì)盟を結(jié)んでおり、今日に至るまで、ラサのジョカン寺の正門前には、「唐蕃會(huì)盟碑」が屹立している。この後、三、四百年の間、チベット族と北宋、南宋、西夏、遼、金などの政権は密接な連絡(luò)があった。
「人民中國インターネット版」より 2009年3月13日
|政治?安全| 経済?貿(mào)易| 社 會(huì)一般| 文化?科學(xué)| エンタメ| 観光| 北京五輪| 政府白書| 記事一覧
|寫 真による報(bào)道| 生態(tài)環(huán)境| 中日両 國| 記者會(huì)見| 中國語講座| 特集バンク| Living in China