高洪?中國(guó)社會(huì)科學(xué)院日本研究所副所長(zhǎng)
1972年の國(guó)交回復(fù)後の中日関係を、比較的大きな尺度から観察すれば、09年はそれまでと違った意義ある年だったことが容易に分かるのではないか。8月末に自民黨が総選挙で大敗した後、民主黨中心の連立政権が樹(shù)立。これを機(jī)に、中日関係の日本側(cè)は自民黨から民主黨主導(dǎo)へと転換し、両國(guó)関係にこれまでにない新たな局面が出現(xiàn)した。
■自民黨政権の対中外交の終焉
日本政治の極めて大きな変化により過(guò)去1年の中日関係は自民黨と民主黨、この2つの異なる政権主導(dǎo)による部分に分けられる。09年1月9日、中日は第9回戦略対話(huà)を開(kāi)催。外交部の王光亜副部長(zhǎng)と日本外務(wù)省の藪中三十二事務(wù)次官は東京で開(kāi)かれた會(huì)合で、二國(guó)間や地域?國(guó)際的な重大問(wèn)題について率直かつ突っ込んだ、実務(wù)的な話(huà)し合いを行うとともに、中日はアジアと世界で重要な影響をもつ國(guó)として、二國(guó)間や地域問(wèn)題を円滑に処理するだけでなく、グローバルな問(wèn)題で意思疎通、協(xié)調(diào)と協(xié)力を強(qiáng)化し、中日の戦略的互恵が新たな年に新たに発展を遂げるよう推進(jìn)させることで、アジアと世界の平和、安定と発展に貢獻(xiàn)しなければならない、との認(rèn)識(shí)で一致した。
3月、日本外務(wù)省は自民黨外交委員會(huì)に間もなく出版する09年の「外交青書(shū)」の草案を提出するとともに、政府の認(rèn)可を得た。青書(shū)は過(guò)去1年の両國(guó)関係を積極的に評(píng)価しているほか、胡錦濤主席が日本訪(fǎng)問(wèn)で収めた成功と、訪(fǎng)問(wèn)によって「首脳が中國(guó)にとって歴史的な意義を持つようになった」ことと「戦略的互恵関係の構(gòu)築に向け著実な進(jìn)展があった」ことを高く稱(chēng)賛している。4月30日、麻生太郎首相は中國(guó)を訪(fǎng)問(wèn)して講演し、「中國(guó)脅威論」を排斥するとともに、「中國(guó)経済の発展は日本を含む國(guó)際社會(huì)に好機(jī)をもたらした」と評(píng)価したほか、「日中両國(guó)が軍事大國(guó)になることはなく、互いに脅威とならず、平和と発展の方向に向けて協(xié)力を強(qiáng)化しなければならない」との考えを表明した。中國(guó)側(cè)は麻生首相の訪(fǎng)問(wèn)及び講演の內(nèi)容を歓迎する姿勢(shì)を示し、胡主席は會(huì)見(jiàn)の中で中國(guó)の発展の対日関係における一貫した原則的な立場(chǎng)についてより詳しく説明。胡主席はさらに、「両國(guó)は永遠(yuǎn)の隣人であり、政治や経済などの各分野での協(xié)力が良好で、戦略的互恵関係が絶えず発展していることで、両國(guó)関係の將來(lái)に向けた良好な基礎(chǔ)が築かれた。……多角的な分野で、雙方は東アジア地域の協(xié)力を推進(jìn)する、國(guó)際金融危機(jī)などのグローバルな挑戦に共同で対応することを協(xié)力の重點(diǎn)に據(jù)え、「10+3」(ASEAN+中日韓)や東アジアサミット、中日韓地域メカニズムでの協(xié)調(diào)と協(xié)力をさらに強(qiáng)化して、アジアと世界の平和と安定、発展を共に促進(jìn)していかなければならない」と強(qiáng)調(diào)した。中國(guó)政府と自民黨政権の間で成功を収めた首脳交流は、自民黨の対中外交に円満なピリオドを記した。
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