上図:1938年の臺(tái)児荘の戦いで、臺(tái)児荘の城內(nèi)が廃墟と化した。下図:2014年4月7日に撮影された、臺(tái)児荘の舊市街地の夜景。
1937年7月7日は、中國(guó)と世界にとって忘れられない日だ。宛平城が戦火と硝煙に覆われ、日本の侵略者が全面的な中國(guó)侵略という闇の除幕を開いた。盧溝橋の川辺で起きた反撃は、全民族の起死回生の偉大なるスタートラインだ。78年が過(guò)ぎ去り、硝煙は遠(yuǎn)い過(guò)去のものとなったが、未だに人々の胸に深く刻まれている。新華社の記者が北京市、山西省、河北省、山東省などの抗日の戦場(chǎng)を再訪すると、血と涙の洗禮を浴びた焦土は、平和の光に浴していた。寫真は時(shí)空を越え、現(xiàn)実と歴史の「対話」を行い、平和の貴重さを際立たせる。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」2015年7月7日