建黨時(shí)から第2保守黨(実際には「第2自民黨」)として登場(chǎng)した日本の民主黨の推し進(jìn)めるものが、自民黨と少しも変わらぬ政治運(yùn)営體制、すなわち派閥政治であることが再び証明された。(文:卓南生?北京大學(xué)客員教授、龍谷大學(xué)(日本)名譽(yù)教授。「中國(guó)青年報(bào)」掲載)
■「黨內(nèi)融和」は「ドジョウ首相」にとってやむを得ない選択
田中角栄を師と仰ぎ、「ミニ田中」と呼ばれる小沢一郎氏が、自民黨を飛び出してから20年経っても依然政界(與野黨問わず)の「起き上がりこぼし」でいられるのは、田中角栄から伝えられた極意により財(cái)界から重視されていることによる。だがこのために田中角栄同様に小沢氏も金銭スキャンダルの泥沼にはまり、しばしば政治の表舞臺(tái)から一歩身を退かざるを得なくなる。
中小派閥は政権につく機(jī)會(huì)も影響力も小さいため、財(cái)界から甘い汁を吸うことも余りない。その結(jié)果、比較的「清新」で「クリーン」なイメージを保つことができる。また、それを標(biāo)榜し、小さいことを逆に武器にして、大派閥が危機(jī)に陥ったり堂々と組閣できない時(shí)に、のし上がることもできる。
黨內(nèi)にわずか20人余りの「同志」しかいないのに今回突然首相の座についた野田氏は、自分の置かれた立場(chǎng)を當(dāng)然よくわかっている。舊來の自民黨(民主黨も然り)の派閥政治ゲームのルールに従い、野田氏は論功行賞として各支持グループや身內(nèi)にポストを分け與えると同時(shí)に、波風(fēng)が立たぬよう最大派閥の小沢派もなだめなければならない。さもなくば、「野田丸」は順風(fēng)満帆と行き難いのはもちろん、帆を上げることすらままならない。
この點(diǎn)を見抜き、身の程をわきまえ、自らを「金魚」ではなく「ドジョウ」にたとえる野田首相は最も要の協(xié)力パートナー(すなわち黨內(nèi)資金?人事の大権を握る幹事長(zhǎng))に、自らの派閥や協(xié)力グループの議員ではなく、小沢一郎氏の腹心中の腹心とされる輿石東氏を選んだ。野田首相の目的は非常にはっきりしている。小沢派に「黨內(nèi)融和」の意志を伝えることだ。
自民黨の派閥政治ゲームでは、激しい総裁選が終るごとに、「黨內(nèi)融和」「挙黨態(tài)勢(shì)」の一幕が演じられる。勢(shì)力の弱い野田首相は就任とともに、自民黨派閥政治の経験に文字通り虛心に學(xué)んだ。これは「ドジョウ首相」の生存本能の知恵であると同時(shí)に、やむを得ない選択であったとも言えよう。