事件當(dāng)初、被害者が食べ殘したギョーザの皮から基準(zhǔn)値の數(shù)百倍のメタミドホスが検出され、これほど高い濃度が殘留農(nóng)薬であるとは考えられず、このような農(nóng)薬を使用する農(nóng)民もいないことから、日本の警察の間では今回の事件が食品衛(wèi)生と無関係で、毒を故意に混入した刑事事件であるとの見方もあった。
これらのことから、製造工場で毒が混入された可能性が最も高く、日本側(cè)もそのように考えていた。中國は2007年1月に有機(jī)リン系農(nóng)薬の生産を停止したばかりで、問題のギョーザは10月に製造され、これらの農(nóng)薬はまだ入手が困難でなかった可能性もある。また、同じ工場內(nèi)で製造された2製品が出荷後に異なるルートを通ったことから、毒を混入するチャンスは包裝された後の輸送前しかない。
こうして、容疑者が絞られた。これらのことを見ると、調(diào)査結(jié)果は非常に論理的だといえる。
しかし、毒ギョーザ事件は解決までどうして2年もかかったのだろうか。
この事件の解決について詳しいことはわからないが、これまでにわかっている狀況からして、中國の警察は外國人関連の事件の解決において、推測で判斷するのでなく、慎重な方法を一貫してとってきた。でなければ、事件に関して國外に説明することができない。犯罪を証明するには十分な証拠が必要である。
例を挙げると、90年代、ある外國の有名企業(yè)家が北京で違法タクシーに強(qiáng)奪され、事件解決後、國外では中國の警察がごまかしているのではないかと考えられていた。元エンジニアの企業(yè)家は最終的に、特別な方法を思いつきやっと事実を確かめることができた。彼はその違法タクシーに乗り込み、タオルで目隠しをし、運(yùn)転士になりきった警察に車を走らせエンジン音を鳴らすよう伝えた。企業(yè)家はエンジン音を聞き、あの日の車であることを確信した。
ここから、事件に関して中國の警察がどれほど慎重であるかがわかる。今回のギョーザ事件も、容疑者は2008年に一時、身柄を確保されたが、當(dāng)時は証拠がなかったため、必然的に調(diào)査が引き続き行われた。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2010年3月29日